現代のトラウマアプローチ

2013.06.08

 

気分の浮き沈みや不眠、不安、パニックなど、心身の不調を訴える人は増加の一途を辿っています。そのような不調は、主に<こころの問題>として捉えられ、精神医学や臨床心理学の領域として認識されてきました。そして<薬による対症療法>や認知行動療法などの<脳の知的な部分に働きかける心理療法>が日本での現在の主な対処法となっています。そのような対処で回復が得られる人がいる一方、薬の効果が得られない、頭では分かっていても体と気持ちがついていかない、調子がいい時と悪い時を繰り返し、不調が長期化する等、望ましい回復が得られない人がいるのも現状です。そのような経緯の中、主にアメリカを中心とし、<神経生理学的な視点>、つまり、人間の生理的な現象や脳の働きといった主に<身体>に重点を置き、心身の不調にアプローチする流れが生まれてきました。神経生理学的アプローチにおいては、心身の不調の背景にある<神経系の調整不全>と、その原因として考えられる、<心理的、身体的トラウマ>の存在に着目します。そして神経系の安定やレジリエンス(回復力)の獲得を通じて、症状の改善やその人らしい生き方の獲得を目指します。

 

積み重ねた研究の末、変化するトラウマの定義

最近、日常生活でも耳にすることが多くなってきた「トラウマ」という言葉ですが、正式な定義はどのような内容なのでしょうか。アメリカ精神医学会が定める診断基準(DSM-Ⅳ-TR)では、「実際にまたは危うく死ぬまたは重症を負うような出来事を、1度または数度、あるいは自分または他人の身体の保全に迫る危険を、その人が体験し、目撃し、または直面」し、かつ、「その人の反応は強い恐怖、無力感、または戦慄に関するものである」と定義されています。つまり、非常に大きな脅威に遭遇することと、特定の感情を伴うことに焦点を当てています。

これに対し、神経生理学的なトラウマへのアプローチにおいては、出来事の内容もさることながら、出来事に対する神経系の反応の仕方に焦点を当てます。そのため、交通事故や手術、麻酔、出生時の外傷等、身体的な外傷もトラウマの原因になり得るエピソードとして尊重します。そして感情のみでなく、身体感覚、イメージ、動き、思考(意味)の反応やパターンにも着目します。このような神経系や知覚を重視したトラウマの認識の背景には、動物行動学に基づく 研究の蓄積があります。

 

トラウマの原因は、出来事の中にではなく、神経系の中にある

神経生理学に基づくトラウマセラピー「ソマティック・エクスペリエンス(SE)」の創始者であり、心理学、生物物理学博士であるピータ・リヴァインは、常に危険に晒されている野生動物が、なぜトラウマ症状を呈さないかに着目しました。そして動物行動学に基づくトラウマ研究を行い、人間のトラウマ症状の治療に応用しました。

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ピーター・リヴァインは、インパラなどの被捕食動物が、チーターなどの捕食動物からの攻撃から逃れようと逃走し、逃げ切ることが叶わない場合、2つの特徴的な現象が起きることに着目しました。その現象とは、<インパラは、捕獲される直前にあたかも死んだかのように凍りついて倒れる>こと、そして<脅威が去ると、震えや発汗を経て凍りつきから回復し、トラウマ症状を呈することはほぼない>ということです。

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そして、この<凍りつきの現象>が人間にも見られること、そしてそれこそがトラウマ症状の主な原因であり、回復の鍵でもあることを発見します。

トラウマの原因ともなり得るこの<凍りつき>という現象は、何を目的として起きるのでしょうか。神経生理学の視点からは<防衛反応の一形態>として説明することができます。

防衛反応とは、動物や人間に脅威が迫った際に、生き残りのために発動される本能的な反応のことをいいます。その種類は従来「逃げるか/戦うか」の2種類であると考えられてきましたが、現在では「逃げるか/戦うか/凍りつくか」の3種類であると考えるのが神経生理学の動向です。

この防衛反応は、自律神経の働きと密接に繋がっています。自律神経は交感神経と副交感神経という2種類の神経で構成されています。交感神経は主に活動を、副交感神経は主に休息を司ります。日中の活動時は主に交感神経が前面に出て副交換神経は後方に下がる一方、夜間の休息時は副交感神経が前面に出て交感神経が後方に下がるように、この2つの神経はクロスし、お互いに補完し合って働いています。

動物が脅威を察知すると、交感神経が前面に出て働き、防衛反応発動のためのエネルギー、つまり、<逃げるか戦う>ためのエネルギーを生じさせます。そして、実際に<逃げるか戦う>行動を通じてこのエネルギーを体外に解放します。エネルギーが解放の方向に転じ始めると、副交感神経が前面に出始め、交感神経は後方に下がり始めます。このように、生き残りのための<覚醒><解放>のプロセスを経て、自律神経のシステムはニュートラルな状態を取り戻します。

一方、トラウマの原因となり得る<凍りつき>の状態に陥っている時はどうでしょうか。ピーター・リヴァインは<交感神経と副交感神経の同時活性化>とそれに伴う<神経系のシャットダウン>という言葉でその状況を説明しました。

脅威を察知したことで交感神経が覚醒し生じたエネルギーが、何らかの理由で<逃げるか戦うか>のいずれかで解放されることなく覚醒し続けると、過度な交感神経の覚醒から生命を守るため、副交感神経も同時に覚醒し始める<交感神経と副交感神経の同時活性化>という現象が起こります。副交感神経の覚醒が交感神経をおさめることができれば、そこで解放が起こり、神経系はニュートラルな状態を取り戻し始めます。しかしそれが叶わない場合、交感神経と副交感神経は<同時活性化>を続けます。同時活性化により神経系に過剰な負荷がかかり、システム自体が崩壊するのを防ぐため、神経系はある時点でシャットダウンします。この状態が<凍りつき>の時に神経系で起きていることであり、後のトラウマ症状の原因となる現象です。

凍りつきの後、脅威が去り、安全を取り戻すと、動物には<震え、発汗>といった生理的な反応が自然に起こります。この反応は、防衛反応の発動のために生じたものの、凍りつきのため使えなかったエネルギーを体外に解放するために生じます。必要のなくなったエネルギーが解放されると神経系はニュートラルな状態を取り戻し、トラウマ症状を示すこともありません。人間の場合は、この<必要のないエネルギーを体外に解放する>という反応を自然に行うことができません。脳の知的な部分(大脳新皮質)が発達しすぎているため、必要のないエネルギーを解放しようとする脳の原初的な部分(脳幹部)の働きを抑制してしまうからです。行き場を失って体内に留まったエネルギーは、フラッシュバック、不眠、不安、気分の変調など、いわゆるトラウマ症状とよばれるものの原因となっていきます。この必要のなくなったエネルギーを少しずつ解放していくことが、神経生理学的なトラウマセラピーでの主題のひとつとなります。

 

凍りつきが起きる背景にはさまざまな要因があります。防衛反応の<逃げるか戦う>が状況的に不可能であった場合や、過去に脅威に遭遇した時の対応や結果により、本能が防衛反応を有効な防衛手段とみなしておらず、反応が起きづらくなっている場合、脳が刺激を現実以上に脅威と感じやすくなっており、ちょっとした刺激が凍りつきへと繋がる神経系のパターンができている場合などです。つまり、個人の生育歴や資源(リソース)、神経系のレジリエンス(回復力)やパターンによって、人が脅威に対してどの程度凍りつきの反応を示すかは異なるということです。言い換えれば、出来事の内容や脅威の大きさによって凍りつきの程度が決まるのではなく、個人の神経系の反応の仕方によって、トラウマとなる場合もあれば、ならない場合もあるということです。これが、<トラウマの原因は出来事の中にではなく、神経系の中にある>と言われる所以です。これを説明するいい例として、1946年にデイヴィッド・リーヴィーによって実施されたニューヨークの病院でのリサーチがあります。リサーチの結果、子どもたちの入院体験に対する反応は、砲丸ショックを受けた退役軍人とよく似ており、同じ位深刻であることが明らかになりました。このような背景からも、トラウマセラピーにおいては、リソースを増やしていくこと、柔軟な神経系のパターンやレジリエンスを形成していくことが重要になります。

 

凍りつきからの解放の鍵となる、<腹部迷走神経>とは?ice

自律神経にまつわる最新の研究で顕著なものに、アメリカの神経生理学者スティーブン・ポージェスによる多重迷走神経理論があります。「迷走神経」とは副交感神経のことを指しており、つまりは副交感神経が複数あると考える理論です。ポージェスの理論によると、副交感神経は主に「腹部迷走神経」と「背面迷走神経」の2種類があります。腹部迷走神経は主に腹部側に存在し、人との関わりの中でリラックスや安らぎを得ることを司る副交感神経で、生後18ヶ月までは存在しません。その間は養育者がその機能を果たすことが必要であり、それがままならないと、その後の腹部迷走神経の発達、つまり、人との関わりの中でリラックスする能力に支障が生じる可能性が指摘されています。もう一方の「背面迷走神経」は、主に背中側に存在し、睡眠や消化、瞑想など、一人でリラックスする時に前面に出る副交感神経のことを指します。そして、凍りつきにつながる「交感神経と副交感神経の同時活性化」の際に用いられている副交感神経は、主に「背面迷走神経」であると考えられています。逆に言えば、神経系が凍りつきを起こしやすいパターンを形成している場合、日常的に「背面迷走神経」が主に用いられ、「腹部迷走神経」がうまく機能していない可能性が考えられます。

神経生理学的なトラウマアプローチにおいては、セラピストとの関わりや安全なタッチを通じて、この人との関わりの中での安らぎを司る「腹部迷走神経」を活性化させ、凍りつきのパターンとは異なる、新しい神経系のパターンを形成することを試みます。

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