「being」と「doing」 つづき
2012.09.11
ずいぶんと間が空いてしまいました。あっという間に9月ですね。
『「being」と「doing」』の続きです。
「being(存在)」ということを考える時に、思い出すエピソードがいくつかあります。
ひとつは、クリパルヨガの先生である、三浦徒志郎さんとの出会いです。
東京には、星の数ほどヨガスタジオがあります。どこでヨガを学ぼうかと思いあぐねていた時、三浦さんが主宰されているヨガスタジオへ問い合わせの電話をしたところ、運よく三浦さんご本人とお話することができました。
そして確信しました。
私が必要としているのはここだ、と。
お話した内容は、ごく一般的なことだったと思います。というか、憶えていません(笑)
話の内容を超えた「何か」が私を動かしたのだと思います。
三浦さんの美声にはファンが多いのですが、その声質にただ惹かれたのではなく、その声の奥から伝わってくる「何か」に惹かれたように感じます。
「何か」って何でしょう??
ヨガでは「OM(オーム)」という音を唱えて体に響かせる、ということをします。
オーム=「宇宙が出来た時に最初鳴っていたと言われる音」を響かせることで、静かな落ち着いた心身の状態を誘発すると言われています。(他にも諸説あるようです。)
この「オーム」、ヨガ教師の方の個性が出るように感じます。
繊細な感じ、力強い感じ、ちょっと自信がなさそうな感じ、どっしりとその場を囲いこんでいる感じ、様々です。
後に、あるヨガ教師の方からこんなことをお聞きしました。
とあるヨガ教師の方は、インドのマスターっぽい、厳かなオームを唱える方でした。
その方に対して三浦さんがした助言は、
「生徒が「ありのままの自分」でいることを学ぶためには、ヨガ教師自身がありのままでいることが大切。自分を作ってはいけない。」
時によれっとしている三浦さんのオーム(すみません。。)が、私は大好きです。
その偽らない、先を急がずに今を、今の自分を受け入れている在り方や、そこから感じる安心感が、私が感じた「何か」だったのかもしれません。
三浦さんがこの存在感を放つようになった背景には、きっと多くの「doing」があったのだと思います。「doing」に意味がないということではもちろんないと思います。
ただ、どんな意識状態でその行い=「doing」を行っているのかによって、そこから生まれる意味は全く違ったものになっていくのだと思います。今にいたくないから、今の自分が嫌いだからその行いをし、今ではないどこかに行ってしまっているのか、それとも、今の自分を受け入れて、今にいながらその行為を行っているのかで、同じことをしても、見えてくる風景や周囲に与える影響はは全く別のものになるように感じます。
言うは易し、行うは難し、ですね!
実践のみに説得力があるテーマだな、と思います。
行きつ戻りつする自分を許しながら、実践の中で学んでいけたらいいな・・と思います。
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